流川通りの歴史を 写真とともに 振り返ります。
別府流川通りは大正時代から別府観光の街の中心でした。 日本初のバスガイドさんの言葉にも「ここは名高き流川 メインストリートの大通り ~ 夜は不夜城でございます」とあります。 発展した大きな要因に街灯があります。 流川通りには昔から街灯が建ち並んで夜を明るく照らしています。
電線が見当たらないのでおそらくガス灯では通りにある瀬戸電機商会さんが昔は瀬戸瓦斯電機商会という名前でガス灯やネオン街灯の工事をしていたので瀬戸電機さんが工事したガス灯だった可能性が高いです。
次の時代の街灯です。 蛍光灯に似た形の街灯になっています。 やはり詳細は分かりませんが、戦後はこの形の街灯の時代がしばらくあったようです。 ネオンサインがこの時代の主流だったのでネオン管だったのかもしれません。
次の街灯です、昭和40年代後半からと思われます。 別府市と流川通り会で協力して建て運営していた街灯です。 当時の市長さんと盛大な街灯完成式を行いました。 中は水銀灯。 2灯点いていて夜は車のライトを付けなくて良いくらい明るかったです。 あまりに明るすぎて電気代がすごかったので、昭和60年代以降は1灯のみで照らしてました.
この水銀灯の街灯の時代はすごく長かったです。 そして、この街灯から数十年が経ち故障が激しく台風の時の倒壊が心配になり 建直しの活動が再び入ります。
流川通り会主導で何度も陳情して 流川通り会が管理と電気代負担で、ついに新しく街灯が建替えられました 平成になってからです 流川通り会の泉都葬祭の工藤さんがデザインして 竹の緑色を使った新しい電気システムエバーライトの街灯がデザインされました このときも点灯式を行いました 尽力くださった当時の行政の方と市役所商工課(当時)、 そして一番に活動してくれた現在の長野市長に厚く感謝を申しあげます 新しい街灯は、今日も流川通りを昔と変わらず照らしてくれています
時代は100年位経ちましたが、変わらず地元の人間で灯りを守って活動しています。
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